行動という投票行為

はてスのはなしもそうだが、最近はしみじみを思う。「自分の行動はすべてある種の投票行為である」と。
ものを購入することはその製品がその価格で購入する価値がある、自分にとって必要であるという社会に対する意思表示であり、その意志が多数であればその商品は生き残る。携帯電話会社やISPのようにサービスをを選ぶときだって同じ。ゴミ拾いのようなボランティア活動だって某かのデモ活動だってものを作ることだって何かを発言することだって、自分が行動を起こすことと起こさないことで結果が少しでも違うならそれはそのことに対する投票行為なのだろう。
なればこそ、自分は評価するものを購入するし評価するサービスを利用する。
自分の行動が評価されればそれはその行動を是とする投票行為であると思えてなんとなくモチベーションも高まるというものである(自分としては)。

マクロ目線では何もないに等しい、という考えもできるけど、それでは自分が楽しくないので自分がやりたいように考える。